11月8日  「お前が望んだこと」 ハイデリヒ追悼記念

05.11.8 UP

 
 エドワードは、一人で汽車に乗っていた。ミュンヘンに向かう汽車。四人がけの座席の窓枠に、肘をかけて流れゆく景色を見ていた。
 考えていた。この一年間を。

「お前がいなくなって…もう一年が過ぎるんだよな…。」
 
 どうして、お前は、今、俺の近くにいないんだよ…
 俺、お前の為に戻ってきたのかもしれないんだぞ…

 エドワードは、ここ一年、心の奥に封印していた彼への想いを紐解いた。

 ノーアとアルの前では、自分は二人を支えなければいけない存在。弱音を見せることはできない。もちろん、弱音を吐いても二人はそんな自分を受けて入れてくれる、それは充分にわかっている。でも、だからといって、それをしたいとは思わなかった。本当の心、弱い自分を見続け、見守って支えてくれた、あいつの存在があったから。俺は。人間っていうのは、誰にでも頼っていいわけではなくて、役割があるって、それがわかった。
 頼りないって、区別しているわけではない。誰にでも頼っていいんじゃないんだよ、人は。
 お前が俺の弱い部分を支えてくれたように、俺は、あいつらを支える役目なんだ。あいつらは、また別の誰かを支える。

「生きている限り…世界と無関係ではいられない…」

 まさにそうだよな、俺は一人で生きている、そう思ってたよ。でも、お前が支えてくれたんだよな、どうしてそこまで俺を。

「俺が、今度は俺がお前を…支えていきたかったのに…」

 今度は、俺が俺の番だったのに。お前の気持ちを聞きたかった…なんでお前はいないんだよ…なんで俺なんかの為に…!

「俺は…アルが生きてるって…それで満足したから…俺は、お前のそばで生きて行くって!」

 そうだよ、俺は。それであいつのことは満足したんだよ…。だから、お前と一緒に生きて行くって。

「でもお前は…俺に『帰れ』って」

 なんでだよ…。俺お前のそばにいたかった…でも。お前はそうじゃなかったのかよ…?
俺はお前のそばにいたかった…。今まで俺の話を聞いてくれたように、今度は俺がお前の話を聞きたかった…

 今まではうるさいくらいにまとわりついてきた二人がいたから。
お前が俺にしてくれたように、お前が黙って自分の話を聞いてくたように、二人の話を聞いた。

「お前は、こんな気持ちだったんだな…」
 
 自分にとって大切な存在。自分を頼って慕ってくれる、そしてかけられる言葉。自分が支える立場になって、それがわかった。自分に向けられる笑顔がこんなにも心地よいものか。
 それはそれで満足に値するものだ。だから、この一年過ごしてこられた。

「…でも、どうしてお前が隣にいないんだよ…」
 お前の話が聞きたかった。お前を今度は俺が支えてやりたかった。

 エドワードは今まで決して崩すことがなかった、表情を崩した。眉間に皺を寄せて、己の無力を責める様な、そんな表情。

 エドワードが、この世界に扉を通って戻ってきたその時には、ハイデリヒはもう「ここ」にいなかった。別れの挨拶もすることなく、彼は旅立っていた。
これからだった。全てが片付いたら、いっぱい話をしよう、そう思っていた。故郷を振り切ってこちらに帰ってきた。選択を迫られたが、自然と選んでいた。こちらの世界を。ハイデリヒと生きて行く事を選んだエドワードにたたきつけられた現実。
 アルとノーア、二人といることで、その過酷な現実は希釈された。だから、わざと気付かないようにした。無理をしていたわけじゃない、自然にそうしていた。でも。ひとりになったら我慢できなかった。たちまちいろいろな事を思い出した。そして思い知らされた。

「…俺は笑えていたか?お前がそばにいなくても…?」
 
 開けてしまったパンドラの箱。中のものが全てなくなるまで流出を続ける箱のように、今まで閉じていた心の箱から、ハイデリヒに対する感情が流れてきた。


  *****
「ここ空いてますか?」

 突然かけられた声に、エドワードはふと我にかえる、顔を見上げる。
 いつの間にか混んできた車内。目の前には身なりのいい金髪碧眼の老紳士が相席を求めていた。
「あ、もちろんいいですよ…」
 慌てて、目の前に置いていた自分のバックを膝に乗せて、どうぞと手で座るように促した。
「ありがとうございます」
 そう言って、物音をさせずに、静かにエドワードの目前に座った。年は違えども、ハイデリヒと同じ色の髪と瞳を持つその紳士をしばしじっと見つめてしまった。
「こんな顔ですいませんが、しばらくお付き合いください」
 やんわりと言葉をかけられて、はじめて自分が凝視するという失礼に値する事をしていたことに気付いた。
「す、すいません。そんなに見つめるつもりでは…」
「いいえ、構いませんよ。若いお方にそれほど見つめてもらえるのも、今となっては貴重な時間です」
 言葉を荒げることなくスマートに切り返す。紳士とはこういう人のことなのだろう、そんな事をエドワードは感じた。目上の人を表現する言葉としては不適当だと思うが、柔らかな陽だまりのような暖かい雰囲気を持った人だと、感じた。

 お前が生きていたら、こんな紳士になったんだろうな…

 ハイデリヒの事を考えていたら、似た外見を持つ人が目の前に現れたので、失礼と思いながらもついつい視線を向けてしまうのだった。

「…誰かに似てますか、自分は?あ、差し出がましいようですが、その人はどんな方なんですか?」
 視線を感じたのか?紳士はエドワードに問いかけてきた。
「…あ、度々すいません…ぶしつけに見つめてしまいまして…」
「いいえ、いいんですよ。何もすることがない時間ですから、変化があったほうが。到着までの短い時間ですが、もしよかったらお聞かせ願いませんか?もし、私に似ている人だったら気になりますしね。あ、自己紹介が遅れました、自分はゲオルグ・フォン・ブラウンといいます」
「…エドワード・エルリックです。ヘル・ブラウン。お会いできて光栄です」
エドワードは差し出された右手に握手をする。
「しがない旅人ですって、そんな仰々しく呼ばないで結構ですよ。ゲオルグで結構ですよ。こちらもエドワードと呼ばせてもらっていいですか?」
「ありがとうございます、ゲオルグさん」
 ゲオルグが、優しい表情をするのでエドワードも思わずつられて笑った。

「それで、どんな方だったんですか?その方は」
自己紹介を終えて、見ず知らずの他人ではなくなった二人は会話を切り出した。
「…あなたと同じ雰囲気を持つ…暖かい、陽だまりのような奴でした…」
「ほほう、そんな方と似ていると言ってくださるなんて、光栄ですね」
そういってまたゲオルグは、微笑んだ。
「そんな風にやさしく笑うところがそっくりでした。」
エドワードもまたつられて微笑む。

「こんなに、あいつのことについて話したのは、初めてですよ、ゲオルグさん」
 ゲオルグが聞き上手なのもあるかもしれないが、エドワードは自分で不思議ともうほど、ハイデリヒとの出会いや日常のことなどいろいろ話していた。
「私も若い人の話が聞けて楽しいですよ。で、その御仁は、今何処に?」
「…」
 エドワードの笑顔が一瞬にして曇る。ゲオルグは、ごく自然に悪気もなく聞いてしまったのだが、瞬時にそのエドワードの表情の変化を悟る。
「あいつは逝っちまいました…俺をおいて。」
「…」
「あいつは…俺が…俺がはっきり言わなかったから、戻るつもりはないって。はっきり言えば、あいつは無理しなかったかもしれない…」
 初対面の人に話すべき内容のことではないのはわかっているが、今のエドワードには止めることが出来なかった。
「あいつは…俺が追い詰めてしまったんです…」
 不思議なほど冷静に、エドワードはその言葉を呟いた。ここで感情的に泣くことは、許されない、そう感じていたのだ。それが自分に残された贖罪。

「…実際そうなのですかね?」
 ゲオルグは、エドワードが一息ついたのを見計らってから、声をかけてきた。
「…?」
 エドワードは怪訝そうに、見返す。
「彼は最後になんて言ってましたか?」
「…忘れないでって…」
「その時の彼の表情は?あなたに対して怒っていたのですか?」
「そんなことはありませんでした…」
「…じゃあ、彼はそれで満足だったのではないですか?彼は何をしたかったんですか?」
 ゲオルグは、諭すようにゆっくりといった。
「俺を…返したいと…故郷に…それで、送り出してくれました…」
「それが彼の望みなら、それで彼は満足したんですよ」
 エドワードは、この一年間。わざと心に封印をしてハイデリヒのことを考えないようにしていた。だから。彼を追い詰めてしまったと、自分の視点でしか考えることが出来なかった。
「もし、彼が不幸であるとしたら。あなたが後悔している所じゃないですか?」
「そ、うですか…」
 封印していた、彼との最後の会話を思い出す。

「あなたは 帰る ことが出来ます」
「俺は 戻る なんて一言も言ってない!」

あいつは、俺が「帰る」事を望んだ。
でも俺はもう「戻る」つもりはなかった。
だから、あちらに「戻った」が、この世界に「帰って」来た。

この世界を「夢の中」と思わないで、生きて欲しい
それがおまえの望みだったのか?

そうなのか?アルフォンス?

だったら、今俺は帰ってここにいる。
お前はここにいないけど、お前がいたこの大地で生きている。
夢なんかじゃない、現実の世界として生きている。
これからもずっと。ここで生きていく。

「エドワード、よく考えてあげてください。彼の事を。…あ、そろそろ到着しますね。」

 エドワードが思考の渦に嵌っている内に汽車は目的地ミュンヘンに到着した。
 
「ゲオルグさん、すいません、感情的な部分をお見せしまして…」
エドワードは別れ際に、改めて自分の非礼を詫びた。
「いいや、こう年をとると…人との別れなどが日常になるので、むしろ改めて 人を大切に思う気持ちを、振り返ることが出来ましたよ」
最後までやさしい表情をくずさない。

「ありがとうございます。あなたの旅の幸運を祈ってます」
 別れ際に左手を差し出し、握手を求めた。
「またどこか出会える時を。」
「はい、その時を楽しみにしています。」

 汽車の中で出会った二人は、汽車の出口で挨拶を交わして、左右に分かれていった。


 エドワードはハイデリヒが眠る郊外の墓地に行く前に、酒と花を買った。彼の瞳と同じ色の青い花を。
  
 

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